以前から読んでみたい本があったのですが、非売品で、栃木県内の図書館どころか
国立国会図書館にもおいてない(_ _。)
しかし、その事故の起きた県である群馬県立図書館にだけはあるのを見つけたのでした。
でも、前橋は遠いよー。自力で行けるだろうか。
と思ったものの、シルバーウイーク中だし、遠距離ドライブで疲れても、翌日寝込めるなーと
思ったので、がんばって行ってきました。
やっぱり50号は怖かった。
さらに、前橋は全然土地勘がないので、ランドマークな建物であるのに見つからない。
ベソかきながら道を質問したら、懇切丁寧に道を教えてくださって地図までくれた
S薬局の皆様、ありがとうございます(T▽T;)
というわけで、無事についた群馬県立図書館。
ここにだけ一冊ある…
『救護体験記―60・8・12日航機墜落現場から』
(日本赤十字社)
これが読みたかったのでした。
日航機墜落の時の遺体確認時の人間模様をいろいろ本で読んでたのですが
それらの本には必ずといっていいほど
「日赤の看護師さんの献身的な仕事はすばらしかった」
と書かれているのでした。看護師さんサイドの話を読んでみたいなーと思っていたら
文集の形で出ていて、それが、事故の現場となった群馬県立図書館にだけ
納められていたのでした。さすが地元…と思ってページをめくったら
これ寄贈なんだ(@@;
小説やルポではないので、技巧に走らず、素直に感情を伝えているので
それゆえに胸に迫ってきます。
私、群馬県だけの日赤が携わったのかと思ったら、栃木をはじめ関東甲信越の日赤に
招集がかかったのですね(@@;
群馬の看護師さんは、事故当初から救護活動に携わったので、四人の生存者の
看護の話も出てくるんですが、他県の看護師さんたちは、遺体検死の援助として
招集されたとのこと。
若い方は「生きている人を助けるのが看護師だと思っているので、正直最初は戸惑った」と
素直に書いてらっしゃいました。
で、やはりこういう極限状態は人間ドラマがあると思うんですが(それを知りたかった)
看護師さんたちもやはりいろいろあったようで
緊張のあまり、来る途中の車で酔ってしまった看護師さん、
逆に、帰りの車で緊張の糸が切れて酔ってしまった看護師さん、
夜、自分の周りを、日中見た遺体が踊ってる夢を見てしまい、仏具一式を買ってしまった看護師さん
遺体が蘇生した夢を見て「生きてるぞ!」と寝言を言った外科医さん、
「もっと大切に遺体を扱いなさい!」と寝言で叫んだ婦長さん
等々の飾らぬ言葉による人間模様は、やはり、感動というと適切ではないかもなのですが
胸に迫ってくるのでした。
最後は、段ボールや新聞紙を使った「整体」の写真図解で終わっています。
看護師さんたちが、遺体確認にくるご遺族の方のために、必死に遺体を整えたのですよね。
その技を、これからも極限状態に出会うであろう後輩たちに伝えたい、という気概というか
職業意識に、頭が下がる思いでした。
…と帰ってきてから気づいたのですが
「小さな目は見た」 上野村立上野小学校/編 1985
「かんな川 5(日航123便上野村墜落事故作文特集)」 上野村立上野中学校/編 1985
「ご遺族のみなさんへ」 長野県南佐久郡川上村川上第2小学校/編 1985
「The Fresno Bee 1985.8.13朝刊
日光航ジャンボ機事故関係資料 コピー」
(米国・カリフォルニア州フレスノ市の地方新聞)
「遺体の身元を追って」 群馬県歯科医師会/編 1986
「日航機墜落事故・自治体職員の活動」 群馬県地方自治研究センター/編
「文集 御巣鷹 鎮魂の賦」 藤岡多野医師会/編 1987
「日航123便事故と医師会の活動」 群馬県医師会/編 1986
「遺体の身元を追って」 群馬県歯科医師会/編 1986
等々、群馬県立図書館にはまだまだ沢山あるのでした。
今度一泊二日で行ってこよ…