夫の逝去に際し、皆さまにはお心づかいをいただき、ありがとうございます。
初めての施主ということで、情けないくらい何もできませんでしたが
姉夫婦や、夫の妹さんご夫婦、友人たちのサポートで、無事に葬儀を終えることができました。
夫はビニールハウスで栽培する「冬春トマト」の専門農家だったので
夏にトマトの苗を植え、秋から翌年春ごろにかけて収穫となります。
胃がんが見つかり、手術した昨年は「治療に専念する」とトマト栽培はお休みしたんですが
今年は「肝臓に転移しちゃったし、抗がん剤の副作用で手もしびれてるけど、トマトを作りたい。少しの量でもいいから」と希望したので、夫と私の二人だけで頑張ることにしました。
今年のお盆ごろ、夫と二人でトマトの苗を植えている途中に
夫が文字通り倒れてしまいました。
その後入院となり、夫には「トマトはもう諦めていい」と言われたのですが
病院の帰りにトマトハウスに寄ったら、苗はまだ生きてました。
トマトがダメになったら、夫の心が折れてしまうと思い
私一人でトマトの世話を続けることに決めました。
ちなみに、結婚生活約7年で、私がトマトの世話をしたのは結婚して2~3年の間です。
あまりにも不器用なので夫は諦め、
「配達だけ手伝ってくれればいい」と、その後、私はトマトの世話に関してノータッチでした。
「こんなにブランクあるのに大丈夫かな」と不安だったのですが
いざ道具などを手にしたら、意外に感覚で覚えているものですね。
トマトたちはすくすく育ってくれました。
お盆以降、夫は入退院を繰り返すようになりました。

10月16日、無事に初収獲できたころ
担当医師に「余命は年内と思ってください」と宣告を受けました。
食事制限はなくて、病室にトマトを持ち込んでもいいと許可を得ていたので
お見舞いの時に食べてもらって「合格点」と笑ってもらえたりもしました。
12月に入り、目に見えて夫は弱っていきました。
トマトどころかお粥も口にできず、喉を通ったのはコーラだけ。
そして、朝3時15分に病院から「奥さんを呼んでます」と連絡があり
駆け付けることができたのが3時45分。
その約1時間後に息を引き取りました。
もう動かない夫を連れて病院から帰宅するとき、トマトハウスの脇を通りましたら
暖房のため、重油を燃やす煙がのぼっていて
トマトが夫を悼んでいるように感じられました。
枕元にトマトを供えることも、棺にトマトを入れることもできて、「一人で大変だったけど、トマトを育てることができて良かったな」と心から思いました。
夫は今ごろ、痛みや辛さから解放されて、ゆっくりトマトを食べてくれてるかなと思います。
きっとお酒も飲んでますね。
大好きだったのにここ数年禁酒でしたから、お酒も一緒に入れてあげたのです。
夫がやり残したことや、引き継いだ私がやらねばならないことがあまりにも多すぎるので
ブログはポチポチと再開したいと思います。
今日も、トマトハウスの暖房装置が故障して、
トマトたちも夫と共に旅立ってしまうのかと覚悟したら、無事直りました。
暗闇の中、ヘッドライトをつけながら修理してくださった業者さん
重油を大急ぎで手配してくださった(重油が無くなっていたのが故障の原因)石油販売会社さん、ありがとうございます。
冬春トマトのシーズンが終わる3月くらいまでは、なんとか頑張って世話をして
この手で最後のトマトを夫のそばに送ってあげたいと思います
引きつづきよろしくお願いいたします。
初めての施主ということで、情けないくらい何もできませんでしたが
姉夫婦や、夫の妹さんご夫婦、友人たちのサポートで、無事に葬儀を終えることができました。
夫はビニールハウスで栽培する「冬春トマト」の専門農家だったので
夏にトマトの苗を植え、秋から翌年春ごろにかけて収穫となります。
胃がんが見つかり、手術した昨年は「治療に専念する」とトマト栽培はお休みしたんですが
今年は「肝臓に転移しちゃったし、抗がん剤の副作用で手もしびれてるけど、トマトを作りたい。少しの量でもいいから」と希望したので、夫と私の二人だけで頑張ることにしました。
今年のお盆ごろ、夫と二人でトマトの苗を植えている途中に
夫が文字通り倒れてしまいました。
その後入院となり、夫には「トマトはもう諦めていい」と言われたのですが
病院の帰りにトマトハウスに寄ったら、苗はまだ生きてました。
トマトがダメになったら、夫の心が折れてしまうと思い
私一人でトマトの世話を続けることに決めました。
ちなみに、結婚生活約7年で、私がトマトの世話をしたのは結婚して2~3年の間です。
あまりにも不器用なので夫は諦め、
「配達だけ手伝ってくれればいい」と、その後、私はトマトの世話に関してノータッチでした。
「こんなにブランクあるのに大丈夫かな」と不安だったのですが
いざ道具などを手にしたら、意外に感覚で覚えているものですね。
トマトたちはすくすく育ってくれました。
お盆以降、夫は入退院を繰り返すようになりました。

10月16日、無事に初収獲できたころ
担当医師に「余命は年内と思ってください」と宣告を受けました。
食事制限はなくて、病室にトマトを持ち込んでもいいと許可を得ていたので
お見舞いの時に食べてもらって「合格点」と笑ってもらえたりもしました。
12月に入り、目に見えて夫は弱っていきました。
トマトどころかお粥も口にできず、喉を通ったのはコーラだけ。
そして、朝3時15分に病院から「奥さんを呼んでます」と連絡があり
駆け付けることができたのが3時45分。
その約1時間後に息を引き取りました。
もう動かない夫を連れて病院から帰宅するとき、トマトハウスの脇を通りましたら
暖房のため、重油を燃やす煙がのぼっていて
トマトが夫を悼んでいるように感じられました。
枕元にトマトを供えることも、棺にトマトを入れることもできて、「一人で大変だったけど、トマトを育てることができて良かったな」と心から思いました。
夫は今ごろ、痛みや辛さから解放されて、ゆっくりトマトを食べてくれてるかなと思います。
きっとお酒も飲んでますね。
大好きだったのにここ数年禁酒でしたから、お酒も一緒に入れてあげたのです。
夫がやり残したことや、引き継いだ私がやらねばならないことがあまりにも多すぎるので
ブログはポチポチと再開したいと思います。
今日も、トマトハウスの暖房装置が故障して、
トマトたちも夫と共に旅立ってしまうのかと覚悟したら、無事直りました。
暗闇の中、ヘッドライトをつけながら修理してくださった業者さん
重油を大急ぎで手配してくださった(重油が無くなっていたのが故障の原因)石油販売会社さん、ありがとうございます。
冬春トマトのシーズンが終わる3月くらいまでは、なんとか頑張って世話をして
この手で最後のトマトを夫のそばに送ってあげたいと思います
引きつづきよろしくお願いいたします。



